本日の映画紹介は
「ジョゼと虎と魚たち(実写)」です。
○原作 田辺聖子
○監督 犬童一心
○脚本 渡辺あや
○音楽 くるり
○配給 アスミック・エース
○封切日 2003年12月13日
■あらすじ
忘れたい、いとおしい、忘れられない。マージャン屋でバイトをするごく普通の大学生の恒夫。最近麻雀屋で近所の婆さんの話題が噂になっていた。「あの婆さんは運び屋で乳母車の中は大金?麻薬?」そんなある日、恒夫は坂道を走ってくる乳母車と遭遇。中をのぞいてみるとそこには包丁を振り回す少女が。それが恒夫とジョゼの出会いだった。恒夫はそんな不思議なジョゼに惹かれてゆく……。(Asmik Ace 作品紹介引用)
1984年発表、田辺聖子による短編小説を
妻夫木聡、池脇千鶴主演により実写映画化。
2020年にはアニメ版としても映画化。
バイトと女性関係に明け暮れる大学生の恒夫は
坂を急降下する乳母車に乗った足の不自由な
ジョゼと名乗る女性(クミ子)と出会う。
祖母と二人暮らしで、足が不自由なジョゼは
世間から隔離されるような生活を強いられるが
恒夫との出会いから外の世界に目を向け始める。
恒夫もまたジョゼの魅力に惹かれていく。
~映像・音楽~
監督は「犬童一心」
主作品で言えば本作品以外であれば
『ゼロの焦点』『のぼうの城』など。
映像はどこか朝方の「彩度が低い」ような
独特な色彩と、俯瞰的なカメラワーク視点など
本作品の見応えは独特な印象がある。
音楽は「くるり」
このどこか切なく「彩度の低い」映画に
ぴったりな印象で、これに関しては見事で
BGMや主題歌含めて最高の音を乗せてくれる。
~演出・時間~
上映時間は116分。
原作短編小説は数十ページで
足が不自由で世間から孤立するジョゼと
その不思議な魅力に惹かれていく恒夫の
純愛とエロティシズムを描く。
本作品ではその原作に肉付けをして
ひとつの映画作品として仕上げているが
健常者と障がい者の恋愛
男女の恋愛に対する視点の差異
恋愛の強かさとあっけなさ
原作者:田辺聖子さんの恋愛小説は
その「女性」の二面性、いや俯瞰的というか
恋愛に対するその「視点」は凄みがあって
本作品の実写化で言えば
そのラストに向けての動き出しは
原作を超えた「その先」を描いているが
「外してない」と思う。外してない。
~見所ポイント~
※長文になります。語りたいので!
①恋愛の始まりと終わり
原作も本作もそうなんですが
「健常者と障がい者の恋愛」
というテーマは作中に感じられるものの
個人的には「恋愛の終始」が主題に感じる。
恋人との別れを1度でも経験し
その経験が「虚しさ」と抱き合わせたもので
記憶の棚に残している方には観て欲しい作品。
恋愛の終始という点で観てみると
大学生の恒夫は「始」
何事にも寛容で気さくな優しさを持ち
ジョゼが抱える「障がい」を含めて愛し
恋の「始まり」に心躍らせていく。
ジョゼは「終始」
驚くのは原作でもそうなのですが
ジョゼは今まで考えられなかった奇跡
恒夫との恋愛を心から楽しむ一方で
驚くほどにその恋の「終わり」も見据えている。
作中で言えば「深い深い海の底から」
やってきた魚とも言えるが、ジョゼは
「恒夫がいなくなったら迷子の貝殻のように
海の底をごろごろ転がり続ける」とも話す。
そしてジョゼは「それもまたよしや」と話す。
そんな男女、健常者と障がい者の
綺麗な恋愛模様を眺めていきながらも
どこかに「終わり」が来てしまう予感。
そんな予感は観客にもリンクしていき
その「予感」は恒夫とジョゼのドライブで
カーナビの音声案内をジョゼが消した瞬間に
確信するものになってしまう。
②ぼくが逃げた
端的に言うと二人は「別れてしまう」
しかも恒夫は一度意中だった彼女と
ヨリを戻すような形でジョゼと別れる。
終わりの予感がしてからも
数か月は一緒に暮らした恒夫とジョゼ。
別れの理由を恒夫は「色々」と話すも
すぐに訂正して「ぼくが逃げた」と話す。
その「色々」は作中ではカットされている。
そして恒夫は新しい彼女と歩きながらも
途中の歩道で急に座り込み泣き崩れてしまう。
道路対岸から撮ったような俯瞰した視点
車の雑音で彼女の声が聞こえづらい視点
この終盤のシーンはBGMの入りも含めて
映画作品屈指の名シーンだとおススメします。
一方のジョゼは恒夫との別れたその後は
一度は「要らん」と言った車いすにも乗り
買い物や料理も手掛けて強く前を向いている。
恒夫とジョゼの対比は
恋愛の終始の男女視点の差異そのもので
本作品のラストで味わえる「あの感情」は
誰しもが共感できる何かが確かにある。
③虎と魚
ジョゼはいつか好きな男ができたとき
一番怖いもの(虎)を男と見に行くと
決めていたと話す。
怖くても「すがりつける人」が入れば
虎を見に行けると思っていたし
好きな男が現れなければ「それもしゃあない」
とやはり俯瞰的な恋愛の「終始」を見据える。
またドライブの帰りのラブホテルで
動く魚の照明を見ながらジョゼは自身を
深い海の底から泳いできた「魚」と称すも
一度光を知った後には以前の闇には戻れず
「迷子の貝殻」になって転がり続けると話す。
幸せがあれば不幸もある
出会いがあれば別れもある
その「高低差」は人生に動きを付けてくれるが
障がいを持つジョゼは何を思ったのだろうか。
「虎」と「魚」は象徴的な表現だが
本作でも多くの主題と余韻を残してくれる。
④自然でありふれた日常
どこか「淡く」どこか「はかなく」
どこか「俯瞰的」なカメラワークは
本作品のテーマに沿ったものだと思う。
作中は驚くほどの「余白」があるし
驚くほどに自然でありふれた日常が流れる。
これはある意味「退屈」な映画かもしれない。
妻夫木聡さんの恒夫は女たらしだけど純朴で
どこか憎めない等身大さは見事だったし
池脇千鶴さんのジョゼは独特な関西弁と
女性特有の「熱さ」と「冷たさ」が
不思議で魅力的な演技で引き込まれた。
作品全体の脚本も、原作短編小説映像化の
「ひとつの最適解」だったと素直に思う。
~注意点~
①二度は観たくない作品
良い意味で。
それは本作品が恋愛の「終わり」を
見事に切なく、虚しく描くことに
成功しているからであって。
それでもやはり洗練された「虚しさ」は
胸をキュッと締め付けられるので苦しい。
この「虚しさ」は一度でいいと思ってしまう。
②映画としての濃淡は少ない
濃淡というか常に「淡」というか。
カメラワークや余白や色彩やBGMなど色々と
その「淡い」雰囲気は独特で退屈です。
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「ジョゼと虎と魚たち(実写)」
を一言で言うならば
「迷子の貝殻になって転がり続ける」
ジョゼという名はジョゼ(クミ子)が
読むフランソワーズ・サガンの
小説『一年ののち』の登場人物より。
本作品中でもジョゼが語り掛ける
『一年ののち』作中のこの一説
「いつかあの男は
あなたを愛さなくなるなるだろう。
そしてあなたもまた
あの男を愛さなくなるだろう。
それでも同じことなのだ。
そこには流れ去った1年の月日があるだけなのだ」
恋愛だけではなく
すべてのものに「終わり」はある。
その「終わり」を「始まり」から
見据えることは弱さなのか強さなのか。
本作品で言えばジョゼは後者で
恒夫は若さ故にそこから「逃げた」
それでも月日が経って振り返ったとき
ふたりには同じ「月日」があるだけで
その「感情」には名前がまだ浮かばない。
この類のテーマでは傑作の一品。
5つ星評価
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